2009年11月08日

ピンポンについて

ここでいう「ピンポン」とは,
松本大洋が描いた漫画のことであり,
その漫画が原作となった映画のことでもある。

私のピンポン体験は,漫画を2巻まで読んで,映画を見て,漫画を最後まで読むという,サンドイッチ方式であった。

漫画の素晴らしさと,映画の素晴らしさは別物です。
私はどちらも好きです。

漫画では,スマイル
映画では,ペコ

窪塚洋介のペコは,輝いている。

ちょっとまだ・・・まとまらない。

とにかく私に「努力しろ」と言っている。
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2009年11月03日

名前について

先日,TSUTAYAで借りた「帰ってきた時効警察」を見ていたら,こんな内容のセリフがあった。

正確には覚えていないのだが,
「本人の性格と名前は逆になっていることが多い」というようなこと。

親が自分には無いものを子どもに持って欲しいと望んで,名前をつける。
しっかし,結局は親のDNAを受け継いでいるから,名前とは逆になってしまう。

なるほど〜。
と,妙に納得するのであった。
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2009年10月13日

その講演会をテレビで見ながらA

テレビを見て感動しながらも,私の目の前にあったのは,
化粧道具と,顔を大きく映す鏡であった。

今日のうちに,自分のお化粧に対する方向性を決めたいと思っていたのだ。

先日,美容室でショッキングな記事を読んだ。

ファンデーションを薄くつけるパターンと,厚くつけるパターンという,二つのパターンを紹介していたのだ。

それは,ショッキングな出来事だった。

だって,それって,なんかちがうじゃん。

この違和感は,うまく説明できない。

私には,ファンデーションは必要最小限が最適で,薄いのもダメだし,厚いのもダメという考え方があったからだ。

薄いパターンのメイク方法と,厚いパターンのメイクの方法を紹介しているのは,これまでの考え方を覆されるような感覚だった。

というわけで,私は,「ファンデーションの量とメイクの仕方」について,再考するべき時にきたと,悟ったわけなのである。

講演を見て,ウルウルしながらも,時に真剣なまなざしで鏡を見つめる私。
「女って・・・。」と,自分のしたたかさと,いい加減さにあきれた。

太陽光を受けたり,表情を作ったりしながら,きれいに見える量と,きれいに見えるつけ方と,つけた後の心地よさを研究した。

研究結果が出た。

一言で言うと,薄いパターンで行こうと。

方向性が見えたところで,テレビを見つめ直しながら,ますます自分という人間が分からなくなった。

そんな分からないところも含めて,まるまる私だということが分かった。こんな私と付き合っていくしかないと,覚悟を決めた。
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その講演会をテレビで見ながら@

迷ったら原点に戻るという話があった。

「あー」とか「うー」とかじゃなくて,意図がある音のつながりとして,最初に人間が使った言葉ってなんだろうと考えていた。

人類誕生まで想いを馳せたがさっぱり思いつかない。
きっと「愛してる」とか「好きだ」とか,そいういうことじゃないと思う。

結論は出ないので身近なことから考えることにした。

赤ちゃんだ。

赤ちゃんが初めて話す言葉。

よく聞くのは,「まんま」である。

ご飯という意味なら,納得だ。

「赤ちゃんよ,君が初めて選んだ言葉はそれで正しい。」と肩でも叩いてやりたい。


お母さんという意味ならどうだろうか。

これは何だかちょっと,違和感があるのだ。私は。
守ってくれる人,ご飯を与えてくれる人という意味なら分かるが,ここには,お母さんを喜ばせようという赤ちゃんの意図が働いているのではないかと,勘繰りたくなるのだ。

私に赤ちゃんがいないからそう思うのかもしれない。

ここでも,結論が出ないので,また,話は変わる。

赤ちゃんに名前を自分の名前を呼ばれたときのあの喜びっていうのは,何だろう。

赤ちゃんに名前を呼ばれて,嬉しいと思わない人はいるのだろうか。

大の大人が,むきになって,名前を呼ばれることについて頑張っている。
「あなたより私の名前を先に呼んだ。」
とか
「今,俺の名前を呼ばなかった?」
とか
「○○(自分の名前)って言ってごらん」
とか。


名前を呼んでもらうっていうのは,「あなたがそこにいることを認識しましたよ。」ということだ。

赤ちゃんの前で,大人は無防備になる。
「わたしの名前をちゃんと呼んで〜」と,林檎ちゃんの『罪と罰』のような世界が繰り広げられる。

名前で呼ばれることは,頭で考えている以上に,大切なことで,人間の根っこの方で欲していることなことなんだと思う。
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講演会における二人だけの世界

前にETV特集で放映された,吉本隆明の講演を聴いた。

これが本当に素晴らしい。涙した。


何に一番胸を打たれたかというと
話し手が,自分の考えそのままを形が変わらないように,しかし,相手にちゃんと伝わるような言葉を選んで,幾度も言い直しながら,語ろうとするその姿にだ。

話し手と聞き手が,深いところでちゃんと手を取り合えるように,考えを共有できるように,時にものすごく慎重,時に大胆に,言葉を紡ぎだしてくる。

自分の発する言葉によって,自分の考えが壊れることのないように,自分の世界に全身浸りながら,言葉を探して拾ってきて,発する。

そういう感じだった。

話の内容も,所々,今の私では理解できないこともあったが,言葉の二つの側面である指示表出・自己表出については,心底納得した。

私は自己表出が,指示表出と一致しないことが,悪であるように感じていた時代があり,その時期は言葉のことで,よく葛藤していた。

ちなみに,恥ずかしながら私なりに二つの言葉の解釈したところをお話すると,
自己表出が,相手を意識しない自分から湧き出てくるような言葉で,
指示表出が相手を意識した,コミュニケーション手段としての言葉ということである。

斜め上を見ながら話す感じが,大学のときの先生に似ていた。

講演も盛り上がってくると,こちらも気合が入ってくる。

段々と気が入ってくると,聞きながら「うん,うん。」と相槌をうつ。

そんで,ますますのめりこんでいくと,この話し手さんはあまり流暢に言葉が出てこないもんだから,私のほうが先に,次に言いたいことが口から出てくるようになる。

「うん,うん。つまり,そこは,関係がないと言いたいんだな。」

とか

「うん,うん。何と言うか,そこは比べられないと言いたいんだな。」

とか。

こうなってくると,話し手と聞き手の二人だけの世界ができ上がってくる。

これが,何とも言えず,幸福である。
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2009年10月12日

タバコの話

現在は,タバコを吸っていませんが,5年位前まではタバコを吸っていた。

EPIQUE(エピック)というJTから出ているタバコ。
スーパースリムタイプのメンソールのものでした。

これが妙にフィットしていて好きだったのに,ある日,買いに行ったらなくなっていた。廃止されていたのだ。

ヴォーグと似ているけど,パッケージも含めて好きだったので,あれ以来,タバコは吸っていない。

廃止されると知っていれば,まとめ買いもできたのに,残念。


先ほど,新事実を知った。
国内では販売されていないが,海外では,まだ販売されているらしい。

早速ネットでチェックしてみたら,パッケージが違った。

やっぱり,パッケージも含めて,好きだったので買わないことにした。

パッケージの淡い光沢と,薄緑の四角。
それはそれは,かわいらしいものでした。

一箱くらいは,持っておきたかったな。残念。
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深夜のドライブ

ここ二日間は,ゆっくり休みました。そのため,昼夜逆転の生活になりつつあり,今日は焦ってちょっと早く起きました。

昨夜は急にドライブに行きたくなって,0時に車に乗って出発し,2時間,ぶらぶらしました。もちろん一人でね。

ipodを車で再生できる装置を買ったので,車中はノリノリです。歌ったり,踊ったり(心で),ぐっときたりで,いい気分転換になりました。

シャッフル機能は曲者です。
もう少し流れを考えて!!なんて言いたくなっちゃうわ。

だからこそ,たまに,コレっていう流れになると,まいっちゃいます。

昨日のベストシャッフルは,
中村一義『ショートホープ』から
エレファントカシマシ『今宵の月のように』でした。

『ショートホープ』の歌いだしは
つまらねぇ そんな気分に のまれちゃって
つまんねぇやろうになんないで

『今宵の月のように』の歌いだしは
くだらねえとつぶやいて さめたつらして歩く

つまらねえとくだらねえと似ているけど,歌い始めの方向は逆に見える。

『ショートホープ』
この一瞬が永遠というものだから

『今宵の月のように』
もう二度と戻らない日々を俺たちは走り続ける

この辺りは「今」の大切さを描いている点で,似ている。

歌い終わりは
『ショートホープ』
飛び込んでいこうよ 行けるから

『今宵の月のように』
いつの日が輝くだろう 今宵の月のように

ここはうまく分析できない・・・。


とにかく,私は歌詞を比較したいのではなく,この曲の流れが,良かったと言いたいのだ。
『ショーホープ』が気持ちをぐわっと昂ぶらせて,『今宵の月のように』が,良い意味で落ち着かせる。

やっさんと,きー坊的な感じと言いますかね。

勇気が出ないときに効く二曲。
一歩踏み出せないときには,『ショートホープ』を
一歩踏み出したけど,なかなか結果が出ないときには,『今宵の月のように』を。

学生時代は,無駄に時間を使ってきたけど,音楽にのめりこんだことは,無駄じゃなかったなと,今になって思います。
posted by 丼san at 15:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月10日

切ない文法

喫茶店で読んでいたのは,文法に関する本である。
これがなかなか面白い。

「〜た。」というのは過去や完了を表す。

しかし,忘れ物が見つかったときには,現在のことでも
「あった,あった。」などと言う。

これは,認識を完了したことを表すそうだ。

子どもがよく,私が,今見えていることを過去形で表す。

背が小さかったり,視野が狭かったりして,大人よりも認識が遅れるから,大人が認識を完了していることを想定して,過去形で問いかける。

「ねえねえ,見えた?」

この切なさ。この愛おしさ。
posted by 丼san at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

絵日記の絵だけかく

いままでも

これからも

ミレニアム

本当かよ

絵日記の

絵だけかく

絵だけかく

このフレーズが急に出てきた。

くるり『ミレニアム』
posted by 丼san at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

どちらが寂しいのか

今日は,ゆっくり起きました。

切れていた化粧品を買いに近所のイトーヨーカドーへ出かけた。
メイクまでしてもらいました。メイクしてくれたお姉さんに
「これから,どこかへお出かけですか?」ときかれたから
「はぁ,はい」なんて答えちゃった。

その後,喫茶店で本を読んでいましたよ。私は。

そんで,隣の二人組みがえらい気になった。

女同士の二人組みなのである。

女同士の二人組みと言えば,大抵,ぺちゃくちゃとおしゃべりに花が咲くのである。

しっかし,隣の二人組みは,違う。

一人は,ずっと仕事の電話。
もう一人は,ずっと携帯メール打ち。

仕事の電話の相手は複数。その中には,英語圏の人もいるようだ。

携帯メールの彼女は,間をもたすために,手持ち無沙汰にならないように,メールをしているように見えた。

電話が終われば,しばしの間,二人は会話を楽しむ。

しかし,すぐまた,一方の彼女は仕事の電話を始める。

二人でいても,交わらない二人。
時々交差するも,また,遠ざかる。


ここで私は考える。

一緒にいても,別々なことをしている二人と,
一緒にいても,別々のことを考えている二人は

どちらが寂しいのかと。

別々なことをしている二人は,心が通じ合っているとは言えないから,結論は出ないんだけど。

まあ,どちらも寂しいね。

でも,私は,別々のことを考えている二人の方が,寂しいと思う。
どちらかが,猛烈に相手を想っているなら,なおさらである。

posted by 丼san at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする